第22回「認める」ということ(12月17日開催)
11月の哲学カフェ(夜の部)では、「『疑う』ということについて」考えてみました。
「偽物(フェイク)」があふれているように思われる昨今ですが、それでも私たちは、何かを信じ、何かを認めながら生きています。
ある事象を「疑う」場合、なぜ私 たちは、それを「疑わしい」と思うのだろう?…皆で考えてみると、それは例えば、「自分が正しいと知っている(信じている)事象と整合性がとれないから」だったり、「その事象(=命題)の対偶が真ではないから」だったりすることが分かりました。
それでは、逆に「認める」場合はどうでしょうか? 私たちがある事象を「認める」ときには、何を根拠にしているのでしょうか? 「認める」って、そもそもどういうことなのでしょうか?
日時:令和元年12月17日(火)18時~20時
場所:ホームスプリング
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