第24回「謝る」とは?(1月23日開催)
昨年も政治家、企業、芸能人など数々の謝罪会見がありました。長時間に及ぶ会見や土下座も記憶がありますが、記憶に残る謝罪会見といえば、平成9年(1997年)、「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから」の山一證券。社長自らの責任を認め、社員を案じてなりふり構わず号泣したトップのあり方は、多くの人の心を動かしたと言われています。一方、平成26年(2014年)、政務活動費の詐取問題が発覚した元兵庫県議の号泣会見は、見ていた人のほとんどが、びっくりして呆れたのではないでしょうか。
人は誰でも、失敗したり、無意識のうちに相手を傷つけてしまうことがあります。素直に謝ることができたら、問題が大きくならずに済むと分かっていても、「謝る」ことが苦手な人は、たくさんいると思います。自分自身を振り返ってみても、「謝る」ことにまつわる苦い思い出、痛い感情は、誰しも持っているのではないでしょうか。
そもそも「謝る」とは、どういうことなのか?「謝る」ことによってどうなるのか?
今回の哲学カフェでは、「謝る」という行為について、掘り下げてみたいと思います。
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